-増田本関連- 箱男氏のブログの再録2
2007-10-15


以下は旧箱男氏のブログのhttp://d.hatena.jp/boxman/20060618.html#p2を箱男氏の了承を得て再録したものである。

再録にあたり若干タグの編集を行っているが基本的にはそのまま掲載している。

■増田悦佐『日本型ヒーローが世界を救う!』(宝島社刊)

 書店でパラパラ見た段階で「また、アメリカンコミックスに対する誤解に満ちた日本マンガ優位論の本か」とうんざりしてそのまま通り過ぎていたのだが、ひょんなことからまともに興味を持って読んでみることにした曰くつきの本。

 とりあえず端的に感想だけをいえば「すごい本」ということになる。

 なにがどう「すごい」かは曰くいいがたいのだが、個人的には「このひと(たぶん)本気だ」という部分に一番衝撃を受けた……なんというか、90年代に岡田斗司夫が「ネタだよ」といいながらやっていたような主張をこのひとはたぶん直球ど真ん中の本気で主張している。

 実際に「トンデモ本」という批判が出てくるのもわかるくらいおかしい(笑える、間違っている両方の意味で)記述も山のようにあるのだが、とりあえず主張が完全に本気なのでまずその迫力に圧倒されてしまう。

 いちおうアメリカンコミックス関連で個人的にもっとも気になったのは以下の記述

 そして、比較的早い時代の、まだアメリカ自体が牧歌的なところを残していた時代に新聞連載が始まったスーパーマンだけは、ロイス・レーンというクラーク・ケントの小生意気な女性記者がサイドキックの役回りを演じている。

(「第1章 アメリカンコミックスはなぜつまらない?」、増田悦佐、『日本型ヒーローが世界を救う!』、宝島社刊、2006年、16ページ)

で、この記述からは著者が新聞のコミックストリップとコミックブックがまったく異なったメディアであることに気付いていないことがはっきりわかる。さらにそれ自体がアメリカではバカにされまくっている子供文化であるサタデーモーニングカートゥーンのコミカライズである『SCOOBY-DOO!』(DC Comics刊)について

 この階層序列のはっきりしたパターンがいかにしぶとく生き延びているかは、連載開始の時期が比較的遅くて、アメリカン・コミックスの世界ではニューウェーブと言ってもよい『スクービー・ドゥー』のようなシリーズを見ても明瞭に読み取れる。

(「第1章 アメリカンコミックスはなぜつまらない?」、増田悦佐、『日本型ヒーローが世界を救う!』、宝島社刊、2006年、16ページ)

といっているのを見れば、大塚英志が「アメリカのマンガ・アニメをディズニーに代表させる」ことを批判し「アメリカのマンガ・アニメの世界になるべく広い網をかけなければ説得力が出てこない」という割りに(でも、ここの部分の大塚への批判自体は著者に同感)アメリカにおけるコミックス、カートゥーンの現状について著者がさほどあかるいわけでもなんでもないことも明白だ。

 ごく一部の読者向けに改めて述べておくとここで話題になっていた「コミックスコード朝鮮戦争起源説」はその意味ではあまり問題ないんじゃないかと思う。ここでも何度か述べたことだが、現在のアメリカでのコミックス研究においてはコミックスコードの導入は50年代のアメリカにおいて全社会的に吹き荒れていたメディア規制の動きを反映したものと理解するのがほぼ常識的な解釈になってきており「朝鮮戦争」だって50年代の「そういう世相」をつくった要素のひとつなのだから、ワーサムひとりを戦犯扱いするよりよほど妥当だともいえる。

 これに関して個人的におかしかったのはむしろ増田が「日本と違ってアメリカの出版社の経営者たちは、立派な知的エリートたちだ」(290ページ)といっている点。

 「知的エリート」って、40、50年代のコミックブック出版者なんてあんなものは実際には半分ヤクザですよ(w


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[増田本]

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