-増田本関連- 箱男氏のブログの再録3
2007-10-15


以下は旧箱男氏のブログの“http://d.hatena.jp/boxman/20060626.html”を箱男氏の了承を得て再録したものである。

再録にあたり若干タグの編集を行っているが基本的にはそのまま掲載している。

■スーパーヒーローコミックス=ロボットアニメ説

 どうやらこことかここから見にきているひとがいるようだが、見にきたひとからどういう期待をされているのかわからないけど、実際問題これとかに私が異論があるかというとべつにない……というか、この発言でいわれていること自体じつはそれほど目新しいものだとも思えないのだが。たとえば何度か言及しているこれとか、あるいはずいぶん前に書いたこれとかね。それにぶっちゃけid:ceenaさんなんかはマット・パスツの『Comic Book Culture: Fanboys and True Believers』(University Press of Mississippi刊)読んでる訳だから特にファンやコミックショップの件なんかあれに書いてあることがいわれてるだけで目新しくもなんともないはずなんだけど。

 だいたい私はスーパーヒーローコミックスをストレートに日本のマンガと比較するのは無理があるんじゃないかと思っていて、けっこう昔から「スーパーヒーローコミックス=ロボットアニメ説」というのを唱えている。

 これはもともとは90年代にほぼピークに達したXメンに代表されるクロスオーバー型の作品がつくり方的にマンガよりもむしろ日本のテレビアニメに近いやり方でつくられていることから発想したものなんだけど、その後スーパーマンが1939年の時点でキャラクターマーチャンダイズ展開をしていたことを知ってスーパーヒーローコミックス自体が「自律した物語」というよりもスーパーヒーローというキャラクターマーチャンダイズにおける「物語担当メディア」なのだという結論に達し、以後カントクいうところの「ただオモチャのロボットを売るためにつくられた」ものとしてのロボットアニメとパラレルに考えたほうが日本人にとって理解しやすいものじゃないかと考えている。

 ……まあ、ンなこといってもなんのことだかさっぱりわからないと思うんで、めんどくさいけど少し説明するが、アメリカンコミックスと日本マンガの違いとしてよくいわれるライターとアーティストの「分業制」というのはじつは同一出版社のすべてのキャラクターが同じ世界観を共有しているスーパーヒーローコミックスの場合、本当はもう少し大きなレベルで括るべきもので、特にXメンやバットマン、スーパーマンなどの複数のタイトル(つまり『アンキャニィXメン』とか『ニューXメン』とかいった個々のコミックブック)が常に関連性を持ちながらまとまったストーリーを語っていくようなものの場合、実際にその全体のストーリーを主導的に取りまとめていくのはそのグループ全体を統括するチーフエディターであり、これがテレビアニメにおけるシリーズ構成、監督の役割を果たしている。つまり、この場合、個々のタイトルのライターの役割は日本マンガにおける「原作」といったニュアンスからは程遠く、むしろテレビアニメ各話の脚本家の位置づけに近い(私はスーパーヒーローコミックスのライターの仕事に対し「原作」の語を使わず、「脚本」としか書かないことにしているのだが、それはこういうニュアンスの違いがあるためだ)。


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[増田本]

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